地震・津波対策推進議連による県外視察(二日目①)

県外視察二日目は、南三陸町、女川町、石巻市の3市町・7施設を廻ります。
宮城県南三陸町から福島県楢葉町においては、私がまだ議員になる前の2016年(震災後5年)に、勤続20年でもらったリフレッシュ休暇を利用し、車中泊をしながら見て廻った地域でもあります。当時はまだ、造成中であったため、その後の復興状況が気になっていました。


南三陸町震災復興祈念公園

宿泊地であった気仙沼のホテルを出発し、震災遺構として防災対策庁舎が遺されている南三陸町へ向かいしました。

805名の犠牲者を出した旧市街地は、かさ上げされて南三陸町震災復興祈念公園となっており、当時の平均津波高16.5mが襲来したとしても、逃げられる20mの築山が築かれています。

頂上には東日本大震災で犠牲となった方々の名簿を安置した石碑が設置されており、追悼の祈りをささげる場となっています。災害時に対応するため、広場のベンチの下には、120名分の防災備蓄が用意されているとのことでした。


築山から志津川へ視線を落とした先には、震災以降として残されている旧防災対策庁舎があります。

震災当時、庁舎内にいた職員や近隣住民等は防災対策庁舎の屋上へ避難しましたが、想像を超える津波により43名の方が犠牲となりました。

現在、旧防災対策庁舎は県有化されており、震災以降として20年間は保存されています。しかし、県有化の期限が2031年3月10までとなっており、その後、予算をかけて保存するのか、それとも解体するのかについては、南三陸町の判断にゆだねられることになります。


南三陸さんさん商店街

南三陸町震災復興祈念公園の横を流れる志津川の対岸には、復興の象徴である南三陸さんさん商店街があります。

鎮魂と慰霊の場から、なりわいの再生と新しい活気を呼び込む新市街地へ、過去と未来をつなぐのは、世界的にも著名な建築家である隈研吾氏がデザインした中橋がつなぎます。地元南三陸杉をふんだんに使用したウッドデッキとウッドゲートからなる中橋は、震災前にあった木造橋を想起させ、復興のシンボルとして住民の心の拠り所となっています。

中橋を目当てに、県内外より隈研吾ファン・建築ファンを呼び込み、地域に活気が生まれることが望まれます。


大川小学校・大川震災伝承館

午前中最後の視察先として、石巻市の震災遺構である大川小学校と大川震災伝承館を訪問、献花を行いました。

北上川の河口から4キロ上流にある大川小学校では、これまで津波が到達した記録はなく、災害時の避難場所として指定されていました。地震直後、教諭らの誘導で校庭へ移動して待機していましたが大津波警報が発出。対応を検討したところ、学校の裏山は急斜面で崩落する危険があることから、校庭よりさらに上流側にあり、周囲の堤防より小高くなっている新北上大橋のたもとをめざすことになりました。


しかし、北上川を遡上してきた津波が、避難中の児童・教諭を襲った結果、学校の管理下にあった児童78名のうち74名が犠牲、4名が行方不明、教職員11名のうち10名が犠牲となりました。

山と堤防に遮られていて津波の動向が把握できない環境であったとはいえ、避難計画や避難行動に問題はなかったのかとの問いに対して、組織的な過失を認めた判決が出ており、大川小学校事故訴訟として語り継がれています。

事前防災の重要性を再認識しました。

鈴木かずひろ Official Website

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